Alpha Commentary: 公取委事例集から考える「大半のケース」にとっての経済分析の有用性
7月5日、公正取引委員会(公取委)は、「令和5年度における企業結合関係届出の状況及び主要な企業結合事例について」を公表しました1)。これによると、同年度の企業結合計画の届出数は345件であり、うち10件は一次審査の段階で取り下げ、残りの335件は一次審査の結果、排除措置命令を行わない旨の通知を得ており、より詳細な審査を行う二次審査の段階まで進んだケースはありませんでした。また、公取委はこれらのうち当事者の参考となると考えられる10件について、「主要な企業結合事例」(事例集)としてそれらの審査過程の概要を公表しています。
上記の事例集においては、審査プロセスにおける経済分析の利用の有無も明らかにされています。具体的には事例9「大韓航空によるアシアナ航空の株式取得」において、①価格分析(事業者数が運賃に与える影響に関する回帰分析)、②GUPPI2)を用いた値上げインセンティブの分析が行われています。興味深いのは、当事会社だけでなく公取委も外部専門家に経済分析を依頼していることで、上記①においては、当事会社側の分析が頑強でないとして公取委側に否定され、競合路線10路線のうち8路線については、少なくとも当事会社のうち一方の値上げインセンティブがあるという判断となっています。
公取委は2022年4月に「経済分析室」を設置したほか、同年5月、「経済分析報告書及び経済分析等に用いるデータ等の提出についての留意事項」を公表し3)、経済分析重視の姿勢がうかがえます。しかし、令和5年度事例集においては、経済分析を利用したケースは上記事例1件のみでした。令和4年度事例集においても2件のみであり、経済分析を使用するケースは実際には多くありません。もちろん、事例集に掲載されないケースにおいても経済分析が使用されている可能性はあるのですが、傾向的には、比較的大規模なクロスボーダー事例やその他複雑な要素を含むハイリスク事例などに限定されるようです。背景として、経済分析のコストや労力の他、専門家以外の当事会社や審査チーム(経済分析室以外の公取委部門を含む?)にとって理解や検証が難しいというデメリットは無視できないと思われます。
とはいえ、大半のケースでは経済分析は無用と結論するのは早計です。経済分析とは、一般にはミクロ経済学の理論や手法に基づく高度に専門的な分析と理解されていますが、その定義を緩めれば、経済分析と明示されていなくても様々なタイプの分析が利用されています。例えばセーフハーバー基準4)の適用可否判断のための市場シェア分析はほとんどの事例で実施されていますし、表面的に事例集に記載されていなくとも、多くの事例で、需要の代替性や単独行動による競争の実質的制限に係る判断のため公取委が様々なデータに基づく分析を検討していることがうかがえます(例として、事例2「富士製薬工業による持田製薬の男性不妊症治療薬製造販売事業の譲受け」における富士製薬の自社製品販売利益の検討など)。
したがって、当事会社サイドからそのような分析のためのデータや分析自体を提供することで、公取委の審査をサポートすることができます。例えば、対象商品と潜在的な競合商品との間で需要の代替性が問題となる場合、両者の販売量や価格推移のデータをグラフ化するだけでも両者の相関関係について一定のストーリーを提示できますし、シンプルな回帰分析程度であれば専門家でなくとも比較的容易に実行可能です。あるいは、消費者アンケートのデータなども、需要の代替性や隣接市場からの競争圧力に係る重要なエビデンスになりえます。このように、大半のケースについては専門的な経済分析までは必要ないとしても、当事会社が公取委に対し、競争法上の論点を整理し、ストーリーを提示するうえで、客観的なデータに基づく様々な種類の分析を検討し、積極的に活用する余地はまだ大きいと考えられます。(池谷誠)
1) 公取委ホームページ。
2) Gross Upward Pricing Pressure Index。企業結合による価格引上げのインセンティブの有無とその程度を評価するために用いられる指標であり、一般にGUPPIの値が5%を超えると価格引上げのインセンティブがあると判断される。
3) 公取委ホームページ。
4)「企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針」第4の1(3)においては、水平型企業結合について、企業結合後のハーフィンダール・ハーシュマン指数(HHI:市場の集中度を表す指標)が一定の基準を満たす場合、一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなるとは通常考えられないとしている。
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