Alpha Commentary: ESG開示に係る虚偽記載リスクと損害額に係る論点

世界的にESG投資についての関心が高まり、企業のESG開示についての取り組みも積極化している。しかし、財務情報の開示と同様、ESG関連を含む非財務情報の開示についても虚偽記載リスクが存在する。国際的な投資助言会社であるISSは先月、気候変動関連をはじめとして、ESG関連訴訟が拡大しており、ESG関連のイベントを契機とする証券訴訟(クラスアクション)の件数も増加傾向にあるとするレポートを発表し、ESG課題にフォーカスする投資家が、スチュワードシップを果たす上で証券訴訟をツールとして積極的に活用する可能性を指摘している1)。また、気候変動関係では、オーストラリア国債のリスク情報開示において、同国の気候変動リスク(温暖化による叢林地火事の増加など)への脆弱性が記載されていないとのクラスアクションが提起されたことも注目されている(今月、連邦裁判所は同国政府による却下申立てを一部につき認めず、同訴訟は係属することとなった。)2)

このように、ESG開示に係る訴訟リスクが現実化しつつある中、我が国の状況を検討すると、各種の国際的基準のほか、経産省による「価値協創ガイダンス」(2017年)、環境省による「環境報告ガイドライン」(2018年)、東証による「ESG情報開示実践ハンドブック」(2020年)など、ESG情報開示に係る基準や指針が整備され、既にこれらに基づくガバナンス体制が構築されている企業は多いと考えられる。一方、企業のより現実的な関心として、グローバルなESG投資の指針として利用される評価機関から高い評価を得るための取り組み、すなわち、これら評価機関が採用するスコアリングシステムが重視する、定量的情報(KPI)や定性的情報を積極的に開示しようとする傾向があることも事実である。主要ESG評価機関の評価ポイントの例は以下図表のとおりである。

主要ESG評価基準の評価視点(例)

 FTSE Russells ESG RatingMSCI ESG RatingSUSTAINALYTICS ESG Rating(例)
E(環境)生物多様性/ 気候変動/ 汚染と資源/水の安全保障/ サプライチェーン(環境)地球温暖化(CO2排出、製品カーボンフットプリント等)/ 自然資源(生物多様性等、責任ある原材料調達(環境)廃棄物管理(有害物質と廃棄物管理、梱包材廃棄物等)/ 環境市場機会(グリーンビルディング、再生可能エネルギー等)環境方針/ 環境管理/ システム外部評価/ 水管理システム/ 二酸化炭素排出原単位・トレンド
S(社会)顧客に対する責任/ 健康と安全/ 人権と地域社会/ 労働基準サプライチェーン(社会)人的資源(労働マネジメント、労働安全衛生、人的資源開発等)/ 製品サービスの安全(製品安全・品質)/ ステークホルダーマネジメント(紛争メタル等)/ 社会市場貴会(健康市場機会等)結社の自由ポリシー/ ダイバーシティプログラム/ サプライチェーン(社会)/ 責任あるマーケティング方針/ 健康製品方針/ 製品サービス安全プログラム
G(ガバナンス)腐敗防止/ 企業統治/ リスクマネジメント/税の透明性コーポレートガバナンス(取締役会構成、報酬等)/企業行動(企業倫理、汚職と政治不安、租税回避等)内部通報者プログラム/ グローバルコンパクト署名/ ESG報告基準及び検証ESGガバナンス/ 取締役会(多様性・独立性)

出展:吉川英徳「ESGスコアの概要と開示対応の実務」(大和総研コンサルティングレポート、2020年10月7日)

もしこれらの開示情報が虚偽であった場合、その内容と重要性によっては、企業および取締役は金商法上の賠償責任を問われるが3)、損害の計算は、会計情報の虚偽記載の場合と比べ、損害発生(企業価値低下)までの経済的シナリオの想定が困難な面があるものの、基本的には財務情報の虚偽記載の場合と同様、株価を基礎とするものとなるだろう。我が国における金商法上の推定規定の利用することも可能であろうし、イベント分析など、米国の証券訴訟で一般的な統計的手法も同様に利用可能であろう。この場合予想されるのは、開示されていたESG情報が虚偽であることが明らかになることにより、上記のようなESG評価機関のレーティングが格下げされ、機関投資家の売却が集中して株価が急激に下落するといった事態が生じうることで、その相当程度は因果関係が否定されない可能性がある。

また、ESG開示情報は、CO2削減など定量的な情報以外に、多くの定性的情報を含んでおり、さらにその相当部分は「当社はネットゼロエミッションを目標としています」といった、一般的な内容となっている。一見、一般的な表現であればリスクも小さいように思えるが、米国では、ブラジルの鉱山会社であるValeが事故を起こした後、安全と環境志向のポリシーが強調されているサステナビリティレポートが虚偽であったとして訴えられた事例(2019年)4) や、石油メジャーのBPによるメキシコ湾での石油流出事故の後、「安全は引き続き当社の第一の優先事項であり、明確な進展が見られています」という同社の開示が虚偽であるとして証券訴訟が提起された事例(2010年)5)など、何等かのイベントが発生した後、一般的内容であってもESG関連の開示責任が問われるというケースが最近になって増加しているとの報告がある6)

我が国においてはまだ具体的な訴訟は顕在化していないものの、今後ESG開示の取り組みが進んでいくにつれ、我が国においても、環境や人権、品質、消費者問題、労働問題、汚職などに係るネガティブなイベントにより株価が下落した場合、ESG開示との整合性が問われることがありうる。換言すれば、これまで一般的に企業スキャンダルと呼ばれていたイベントの多くは、例え会計情報の開示に係るものでなくとも、将来的に証券訴訟の対象となりうる可能性があるといえる。(池谷誠)

注:

1) Jeff Lubitz and Duncan Paterson, “Growing Number of Non-U.S. Companies Facing Class Actions”, ISS Securities Class Action Services, September 23, 2021

2) Federal Court of Australia, O’Donnell v Commonwealth of Australia [2021] FCA 1223

3) 金融庁による2020 年1 月31 日付課徴金納付命令においては、有価証券報告書等の財務情報の虚偽記載に加え、有価証券報告書中の「第一部 企業情報」・「第4 提出会社の状況」・「6 コーポレート・ガバナンスの状況等」・「(1)コーポレート・ガバナンスの状況」の項目における非財務情報について実態と異なる記載を行ったことが、課徴金納付命令の対象となる重要な事項についての虚偽の記載とされ、有価証券報告書等の法定開示書類における財務情報のみならず、非財務情報についても、虚偽記載として法的な責任が課される現実的なリスクがあることが改めて明らかになった。森下・安達・森本「ESG 投資をめぐる最近の動向」アンダーソン毛利友常法律事務所、FINANCIAL SERVICES & TRANSACTIONS GROUP NEWSLETTER(2021年3月)。

4) In re Vale S.A. Sec. Litig., 2020 WL 2610979, at *9 (E.D.N.Y. May 20, 2020)

5) In re BP p.l.c. Securities Litigation, No. 4:10-md-2185 (S.D. Tex. Feb. 13, 2012).

6) Elisa Mendoza and Jeff Lubitz, “Event-driven Securities Litigation – The New Driver In Class Action Growth”, ISS Insights, December 3, 2020