Alpha Commentary: DCF法による損害算定−いかにして「泥沼」を回避するか?
我が国企業の紛争解決手段として、国際仲裁の認知度が高まっています。国際仲裁においては、高額の損害賠償が争われる事例が多く、JCAAにおいても紛争金額の最高額が約1500億円、紛争金額が100億円を超える高額案件も多いとされています1)。
これら国際仲裁の事案においては、損害額の立証において専門家の意見書や証言(Expert Witness)が重要な役割を果たします。専門家による損害額の算定方法は大別してインカムアプローチ、マーケットアプローチ、コストアプローチがありますが、逸失利益の損害などが争われる際にはインカムアプローチ、中でもディスカウントキャッシュフロー法(DCF法)が採用される場合が多くあります。筆者の知る限り、国内訴訟においてDCF法による損害算定が行われることはまれですが、国際仲裁では建設・インフラプロジェクトやエネルギー、商事契約、知財など様々な分野のケースでDCF法が採用されています。
損害額(逸失利益)の算定に使われるDCF法の枠組みは、基本的には企業価値評価で使用されるものと同じですが、特徴的なのは、損害額が「有害行為(契約違反、不法行為等)がなかったと仮定した場合の利益」と「有害行為の下での実際の利益」との差額の現在価値として算定されることです。前者を仮想的(But-for)シナリオ、後者を実際シナリオと呼びますが、これら二つのシナリオの下での利益の差額を逸失利益ととらえ、一定の割引率を適用してDCF法によってその現在価値を算定するわけです。簡単な式に表すとすれば、以下の通りとなります(rは割引率)。

企業価値評価の場合、対象企業が適切なプロセスに基づき作成した事業計画等が利用できますが、損害算定の場合、企業のキャッシュフロー全体ではなく、影響範囲が特定の地域や事業に限定されるため、仮想的シナリオ、実際シナリオそれぞれについて、会計数値等を適切に切り分けた損益計算書(PL)を作成する必要があります。さらに、一般的な企業価値算定の場合と比べ、損害額算定におけるDCF法による算定プロセスは多くの前提や推定を必要とし、複雑さの度合いが高いため、以下のような問題が生じることが珍しくありません。
- 有害行為により影響を受ける期間が過大または過少:企業価値評価の場合、無期限の将来期間のキャッシュフローを想定するが、損害算定の場合、有害行為による影響が及ぶ期間に限定される。どの程度の期間が適切であるかは因果関係に基づき考慮されるが、確立された基準があるわけではないため争点となりやすい。
- 有害行為とその他の要因による影響を混同している:損害算定期間において、売上や利益が減少しているとしても、それが有害行為のみの影響か、その他の要因の影響も含まれているのか、といった問題はしばしば争点となる。後者の場合であれば、いかに合理的に有害行為のみの影響を切り分けできるかが課題となる。
- 変動費と固定費の関係が適切に考慮されていない:有害行為によって売上が減少する場合、コストの変動は変動費と固定費の割合や特徴によって異なるから、逸失利益としての損害は一般的な営業利益等ではなく、限界利益の減少分として考慮される必要があるが、利益の概念が整理されないまま損害が算定される場合がある。
- 割引率や金利の適用が合理的でない:損害額が争点となる場合、有害行為が過去に発生していることが一般的であるが、損害が過去の一定期間だけでなく、将来期間まで及ぶ場合、評価時点を適切に定義し、割引率や金利を適用し現在価値を求める必要がある。
- 有害行為によって影響を受ける市場の範囲が適切に定義されていない:有害行為による影響が会社全体ではなく一定の事業や地域に限定されるとしても、その範囲が適切に定義されない場合がある。例えば、特許侵害により新規参入があった場合、もともと競争が少ない寡占的市場であれば侵害による売上の減少が認められるが、別の市場が多くの競合が存在する競争的な市場であった場合、侵害と売上減少との間の関係が認められにくい。
このように、DCF法により損害算定を行う場合、一般的な企業価値評価の場合と比べても多くの論点があり、専門家の間で大きく意見が食い違うことは珍しくありません。またこれらの論点は専門家ではない当事者や仲裁廷にとっては容易に理解できるものばかりではないため、議論が膠着し、泥沼化することもあり得ます。
「泥沼」の回避のためには、説得的な評価モデルやストーリーに基づく専門家証言(Expert Witness)がカギとなることは当然ですが、これらの問題の多くは仮想的シナリオや実際シナリオの設定と深く関連しています。そして、シナリオ設定は前提となる事実関係や法律枠組みに基づくものです。したがって、専門家に任せきりにするのではなく、損害分析の特に初期的段階で当事者や法律家と専門家との間で密接な情報交換が行われることが重要と考えられます。(池谷誠)
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