Alpha Commentary: 中国の知財訴訟における「法定損害」と損害額の高額化

かつてはコピー大国として非難を浴び、知財権利が軽視されるというイメージが強かった中国における知財訴訟の動向が注目を集めている。「専利」(特許や実用新案、意匠)に係る訴訟の第一審の受理件数は、2020年において28,528件(前年比28%増)であった(2021年9月20日付日本経済新聞)。外国企業が当事者となる訴訟も増加しており、本年8月には、音声認識技術などを開発する中国の上海智臻智能網絡科技が、米アップルのiPhoneに搭載している音声アシスタント機能「Siri」が自社の特許を侵害していると主張し、100億元(約1700億円)の損害賠償を求めて上海市高級人民法院に提訴している。

中国における知財訴訟の件数が我が国と比べて桁違いに多い理由の一つは、「法定損害」の仕組みが存在していることである。中国では、「専利法」第65条により、損害額の算定手法として、逸失利益、侵害利益、合理的実施料、法定損害が認められており、この順番で適用することが定められている。逸失利益、侵害利益、合理的実施料は、それぞれ、我が国における特許法102条の第1~3項に相当するものであるが、実際には立証の困難さや、証拠の信頼性に係る問題により、裁判所に認められることは少なく、全体の9割以上のケースにおいて、法定賠償により認容額が決められている(注1)。

法定損害とは、「最高人民法院による専利紛争案件審理の法律適用問題に関する若干規定」第21条に基づき、裁判所が一定の算定ロジックに基づき、裁量で決定する損害賠償額であり、これにより、中国の裁判所はスピーディに大量の案件を処理することができる。法定損害の認定にあたって、裁判所は通常、①特許の種類、②侵害行為の性質(生産、販売、販売の申出、使用など)、③侵害者の意図(故意又は過失)、④判例(同じ裁判所における過去の判決)、⑤経済的要素(侵害物品の販売量、販売額、利益等)という5つの考慮要素を用いている(注2)。

一方で、法定損害によって認められる損害額のレンジは、従来、1万元から100万元までと定められており、実際に認容される損害額も少額となるケースがほとんどであった(注3)。しかし、本年6月に施行された改正専利法においては、権利者の保護が強化され、上記の法定損害の上限額が100万元から500万元に引き上げられた。また、懲罰的賠償についても導入され、故意かつ重大な侵害と認められると、損害額の5倍までの賠償が科せるようになった。

もちろん、法定損害や懲罰的損害によらなくとも、逸失利益、侵害利益、合理的実施料についての立証が可能であれば、上記のアップルに対する訴訟のように、高額の損害賠償請求が可能であるし、8000万元の損害が認められた2017年のHuawei対Sumsung事件のように、実際に高額の損害額が認められた事例も増えつつある。

このように、中国においては、知財訴訟の件数だけでなく、損害額の高額化によっても知財権利保護のトレンドが進みつつあるといえる。我が国企業にとって、中国において知財権利を守るうえで、損害賠償請求は有効な手段となりうる一方、高額の賠償請求を受けるリスクもまた増しており、戦略的分野については、潜在的な損害額の算定や立証方針につき事前に検討しておくといった準備が有効となる可能性がある。(池谷誠)

(注1)池谷誠著、特許庁「特許権侵害における損害賠償額の適正な評価WG」・デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリ一合同会社編「特許権侵害における損害賠償額の適正な評価に向けて」(一般社団法人日本図書館事業協会、2019年)、193頁。

(注2)同上、194-195頁。

(注3)同上、105頁。2007年1月~2017年11月の裁判統計によれば、中国における特許訴訟判決7744件のうち、7266件については、損害認容額が500万円以下であった。