Alpha Commentary: インフレは価値評価にどのような影響を及ぼすか?(続)

本年5月9日付Alpha Commentaryでは、最近のインフレ傾向を受けて、今後インフレ期待が上昇すれば、名目ベースの将来キャッシュフローへの反映、および継続価値算定において使用する永久成長率の上昇を通じてプラスの効果があるものの、資本コスト(割引率)においても適切にインフレ期待が反映されるのであれば、評価に与える影響は中立的であることを述べました。その後、いわゆるCPIショックによって世界的な株安の状況に陥るなどの状況が続き、インフレについての関心がさらに高まっているため、価値評価の観点からいくつか補足したいと思います。

まず、資本コストに対するインフレの影響が、金利(リスクフリーレート)の上昇を通じて反映されることは先に述べましたが、この場合の金利は一般に、短期金利ではなく、長期金利が用いられます。短期金利については、インターバンク市場における誘導金利を通じて金融当局が政策的に調整することが可能ですが、長期金利は通常は国債市場で決定されます。価値評価の実務においてはリスクフリーレートの指標として10年もの国債の利回りなどを使用することが一般的で、将来のインフレ期待もこのような市場金利に反映されていると考えられています。しかし、わが国おいては現在、日銀による「連続指値オペ」やイールドカーブコントロール(YCC)などの実施、つまり長期国債市場への介入により市場金利が一時的に管理されています(注1)。つまり、長期的なインフレ期待は、国債市場からは読み取れないという特殊な状況にあります。

とはいえ、わが国のインフレの状況は世界的に見て、相対的に落ち着いた状況にあります。現在の状況がウクライナ情勢など外部要因に基づく一時的なものか、長期的なインフレ期待の高まりを伴うものかは、まだ明らかとは言えません。一方、米国の状況はより深刻です。エネルギーや食料品など、供給サイドの外部要因によるインフレだけでなく、賃金上昇のペースが高まっており、物価と賃金上昇のスパイラルが懸念されています(注2)。FRBは政策金利を引き上げており、これを受けて国債市場においても長期金利の上昇が続いていますが、資本コストの観点から重要なのは、長期の実質金利(=名目金利-インフレ率)がマイナスからプラスに転じていることです(注3)。このような状況の下では、将来キャッシュフローがインフレ相当分増加するとしても、資本コストに対する金利上昇の影響の方が大きいため、価値評価に対してはネガティブな影響が生じます(注4)。

本稿の射程を超えるため詳述しませんが、上記の他、急速なインフレは経済主体間の所得分配を歪め(原材料高騰の影響を製品価格に転嫁できない企業の収益低下、物価上昇率が賃金上昇率を上回る場合の家計部門の実質所得低下など)、将来見通しを困難なものとし、実体経済と金融市場に混乱をもたらします。急速なインフレに対応するための金利引き上げは、抗がん剤の副作用のように、少なくとも一定期間、景気後退(スタグフレーション)をもたらします。このような状況の下では、予想される将来キャッシュフローにネガティブな影響が及び、価値評価の下方修正が起こり得ます。

以上のように、価値評価にとって、おだやかなインフレは中立的といえますが、急速にインフレが高まる経済においては、実質金利の上昇による資本コストへの影響や、実体経済の冷え込みによる将来キャッシュフローの予想修正など、インフレ自体ではなく、インフレがもたらす間接的な要因によって、価値評価にネガティブな影響が生じるといえます。そしてその影響の度合いは、レバレッジの高低や、所属する業界によって大きく異なります。わが国においてはまだモラトリアム的な状況といえるかもしれませんが、米国をはじめとする諸外国においては、インフレ高進が価値評価上の重要テーマになりつつあります。わが国企業にとっても、海外子会社や投資先の減損などのきっかけとなる可能性があり、今後留意が必要と思われます。(池谷誠)

アルファフィナンシャルエキスパーツの価値評価サービスはこちら。財務アドバイザリサービスはこちら

注1:2022年3月28日付日本経済新聞

注2:2022年9月21日付日本経済新聞

注3:ピクテ・ディープインサイト「米10年実質金利が上昇基調 米国株は依然として「逆金融相場」か?」

注4:厳密には、資本コストへの影響は金利だけでなく、株式リスクプレミアム、ベータ、クレジットスプレッドなど様々な要因を通じても生じる可能性があります。